「子どもの耳を育てる…」
という今回紹介する本のタイトル。
育児に関心のある親なら、惹かれるフレーズかもしれません。
著者の大川悦生さんは、多くの児童文学作品を世に残した作家です。
大川悦生さんの作品の1つ「おかあさんの木」は、アニメ映画や実写映画化もされていて話題となりました。
また大川悦生さんは、育児にも関心を持っていて、よく本の“読み聞かせ”を子供にしてあげたそうです。
今は「イクメン」だとか呼ばれたりして、子供の面倒を見る父親も増えてきていますが、当時では少し珍しかったかもしれませんね。
「子どもの耳を育てる―私の民話と読み聞かせから」は、少し古い本ですが、
“子供の頃の本の読み聞かせ”に関心を持つ人なら、参考になる体験談がたくさん書いてありました。
今回は、興味深かった経験談をちょこっと紹介していきます。。
目次
「子どもの耳を育てる―私の民話と読み聞かせから」レビュー・要約・感想
「子どもの耳を育てる―私の民話と読み聞かせから」の内容を少し抜粋しながら、一部を紹介していきます↓↓
「親の声」を敏感に感じ取る子供の耳
「子供にたくさんの絵本を読み聞かせしてあげたい…」
そういった思いを持つ親はたくさんいると思いますが、
日によっては疲れて読み聞かせをやりたくない時ってありますよね。
…でも、口には出さなくてもその面倒だと感じている心の中を、子供は敏感に感じ取ってしまうものです。
というのも、大川悦生さんは“読み聞かせ中”にこんな体験をしたそうです↓↓
親がイヤイヤ読み聞かせをやっている様子は、子供はすぐ感じ取ります。
もちろん、そんな状態で読み聞かせしても子供は喜びませんし、絵本の世界へ入り込めないでしょう。
私たち親も読み聞かせをする時は、自分の心の状態にも注意したいものですね( 一一)
子供が「読書好き」になる瞬間…
大川悦生さんは、小さい頃からずっと本の読み聞かせを行ってきたそうです。
それは、字を覚えて子供1人でも読めるようになってからも続けたと言います。
ところがある日のこと、
小学校へあがったばかりの娘から、成長を感じる一言を言われたのが印象に残っているそうです。
その出来事とは…↓↓
七歳の誕生日を迎えるまえ、わたしが、「また読んであげようか」と言うと、長女は突然こう言ったのです。
「お父さんが読むと、おとうさんの声しか聞こえないけど、わたしが自分で読んだら、お話のなかのいろんな人(登場人物・動物)の声が聞こえてくるの」
わたしは子どもの成長の早さに驚きました。この子はもう、本を読む楽しみを知ったと思いました。(P-54-55)
本を読むと頭の中に広がってくる無限の想像の世界…
これこそ、読書の楽しみですよね。
テレビなどでは得られない、自分で世界を生み出す想像の楽しみを子供の頃に知れば、それは読書好きにもなりますよね。。
小さい頃から耳を作ってきた人の「記憶力」
大川悦生さんは、数々の児童文学作品を生み出した作家でもありますが、
民話について学ぶ時、山形県の小国町大石沢というところへ、語り部(かたりべ)おばあさまたちによく会いに行っていたそうです。
その時、70歳を過ぎた語り部たちの「記憶力」に驚いたそうです。
というのも、
そのおばあさまたちは、“昨日初めて聞いた民話を次の日すぐに語った”というのです。
しかも、聞いたのは「1回だけ」だと言います…↓↓
「きのう一遍聞いただけで、きょう、もう語れるんですか」
「ああ、おれ、三つや四つの話のこんだら、一遍きけばすぐ語れる」
しのぶさんはこともなげに言いましたが、学者・研究者・作家にとっても。それは至難のわざなのです。
あらすじは記憶できても、三つや四つ語るなんて、とてもできません。
ーー小さいことからいい耳を養ってきた人は、七十、八十という年になっても耳が衰えない、これはすごいことだと思いました。(P35-36)
よく、ジャングルに住んでいる民族たちは、数キロ先の人の足音を聞き分けられる…という私たちには信じられないような耳を持っているという話もありますが、
人間本来の潜在能力というには、まだまだ底知れぬ能力が秘められているのかもしれません。
記憶力にしても想像力にしても、
子供の頃に“良い耳”に育てられた人は、大人の私たちの想像を超える能力を身につける可能性があるのかもしれません。。
「子どもの耳を育てる―私の民話と読み聞かせから」には、
今回紹介した内容以外にも、まだまだたくさん勉強になりそうな経験談が書かれていました。
気になった方は、ぜひ読んでみてはいかがでしょうか(^^♪
ちょうど五月のゴールデン・ウイークが明けたころだったと記憶します。
いつものように絵本を読みはじめ、二冊めのとちゅうまで読んだとき、長女はくるりと振り向くなり、
「おとうさん、この本のお話、好きじゃないんでしょ」
と言ったのです。
ほっぺたをぷくっとふくらませ、怒っていました。わたしはドキッとしました。
一瞬、なぜ怒ったのか、戸惑いましたが、そのわけはハッキリしていました。
おとうさんは好きなお話を読むときと、好きでないお話を読むときと、声がまるで違う。今朝の声はぜんぜんダメ、いやいや読んでいるみたいという抗議でした。(P-3)